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zoom RSS 「徳川慶喜家の子ども部屋」を読んで

<<   作成日時 : 2004/10/22 12:47   >>

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著者:榊原喜佐子
出版社:草思社
おび:著者「徹子の部屋」出演
 最後の将軍の孫で、高松宮妃を姉の持つ著者の回想記。

この本を手にしたのは、ずいぶん前のことである。
この本が最初に出版されたのは、平成8年(1996年)だが、手にしたのは2年後か3年後、もしかしたら平成10年にNHK大河ドラマで「徳川慶喜」をやっていたので、その影響だったかもしれない。
まあ、私は大河ドラマ自体にはあまり興味がないのだが。
「おび」で示しているとおり、私たちとは育ちが違う人の子どもの頃の話を中心にした自叙伝である。
自叙伝でというのは、私はさほど読まない。
退屈だからだ。
だが、買って読もうとしたのは、こういう人たちの生活ってどんなだろう、子ども時代ってどんなだろうと思ったからだろう。
あり、そのまんまやなあ……。
だがやっぱり退屈であった。
お姫様には違いないのだもの。
父は当然慶喜の息子、母は有栖川宮家のお姫様。
どんなにがんばったって、ちっとやそっとではなれない身分なんだもの。
この人たちだって、どんなにがんばったって庶民の暮らしについていかれない。
私たちも不幸?だが、この人たちはもっと不幸なんだと思うしかない。
ただ、著者の生まれた年が大正10年(1921年)というところに引っかかった。
これは読んでいくうちに、著者紹介で確かめたのだが、確かめてからは今までとは違った感覚になった。

著者が大正10年。
私の実母が大正9年。
阪神大震災のあった年の春に亡くなった姑が大正11年。
そうだ。
母と姑と、著者はまさしく同時代にそれぞれの社会で生きてきた人たちなのだ。
そして、共通は戦争時代とその後の混乱した時代を生き抜いた人たちだということだ。
母はどん百姓の三女(だったと思うが。長女でも末娘でもなかった)で子ども時代は幼稚園は通園していたというがその後の学歴は聞いたことなし、10歳前後で関東方面に奉公に出されたと聞かされた。
姑は先祖は佐賀藩の藩士で、子ども時代は父の仕事関係(何だったか忘れたが、船長か船舶関係だったと思う。違うかな)で日本全国を転校したと聞いた。
著者の結婚は昭和15年。
母の最初の結婚、姑は昭和17年ごろと聞いているので、当然いいお嬢さんの頃に戦争があった訳だ。
そう思うと、ついつい読んで聞いていたことを思い出すのである。
戦争体験もおのずと違ってくる。
姑のほうはあまり聞いたことがないが、母は夫が戦死している。
著者にしても、東京大空襲の日に赤ん坊を病気で亡くしている。
空襲により、ではないが、間接的に医者が呼べなかったようだ。
寺に埋葬しに行くときに東京の変わり果てた姿を見ている。
また、軍人であった夫の周辺には憲兵がいつも付きまとっていたようだ。

当時から今も田舎で暮らしていた母が戦争についてどう思っていたかは分からない。
生活に不自由しているということもなく、兄や姉を育てるのに必死だったという思いしか伝わってこない。
姑にしては、夫は戦争に行かずに済んでいたのだが、先祖代々「地主」であったため、その後の土地改革で地主制度がなくなり、小作人に先祖代々の土地が与えられていったことをとても無念そうにしていた。
しかし、生活が困窮していたわけではない。
母の生活は、父が退職金をもらうまでかなりいろんな面で苦労していたと思う。
しかし、著者の苦労も大変だったと思う。
生まれながらにして「お姫様」は最後までそれであるわけではない。
榊原家も先祖が榊原康政という徳川家一の家来であったから、まったく関係のないところに嫁いでいるわけではないが、庶民の暮らしであった。
戦後は「華族制度」が全廃され、真に庶民になった彼女は、だから庶民の暮らしができるわけではないのだ。
この意識改革にずいぶん年月を費やしている。
姑や舅は、「地主」であった、という感覚がずいぶんと残っていて、それが当然のように言っていた。
性格的にのんびりで鷹揚な人で、大好きな人だったが、心のどこかにこの家と土地は守っていかなければならないという思いがあったように思う。
それを長男の嫁として嫁いできた私に言ったり、生まれてきた赤ん坊の長男に言っていたりするところになんとなく悲しさを感じた。

生活習慣や意識を改革していくというのは、大変なことだと思う。
私自身はそれをするような伝えていくべきものは何もないので、そういうことを聞くと「そうだねえ……」とか受け流したり、「うんうん、分かる」とか、「うーん、経験がないから……」とか適当なことを言ってたりするのだが、生活はまあ、創造だから、と思ってしまっている。

著者は軍国少女だったそうな。
当然そうだろう。
姉が宮家に嫁いだり天皇家に関係がある家柄だとすると、国を思うことが自分の役目だと思うのはそうなってくるだろう。
戦争がはじまって「自分も戦争に行きたい」と思ったり、ラジオからの戦況ニュースに小躍りする場面(もっとも、落胆するようなニュースはあっても流さないよな)は、結婚後、夫が何をしているかで最初の意識改革を迫られるのである。
と、同時に戦況が悪いことを夫から知らされたり、生活も以前のようにはできなくなっていったり、そのうちに米軍の沖縄上陸、空爆などで本当の戦争の怖さを思い知らされる。
母や姑が経験し得なかったことをこの人は経験しているというのは、なんとも、と思ってしまうのである。

この本の面白かったところは、女学校時代のことの話である。
小学校から皇族・華族の子女を対象とした学校だったらしいが、だから戦争前の軍国主義教育的な場面がいくつか出てきており、興味深い。
きな臭いにおいがぷんぷんしてきそうなこれからの時代の学校教育がどのように変わっていくか、子どもがいないからとか、大きくなって卒業しているからとか、関心がなくなっていく学校教育制度だが、そういうところを突いて、著者の言う「国を思う―愛国」の教育がなされようとしている気がして仕方がない。
「あの時代、『戦争反対』の声など上げようにも上げられなかった。そういうことができると思わなかった。国のために勉強していた」と言った姑の言葉が繰り返して聞かれるようになるのかもしれないのだ。

私の中で3人の女性が行き来した、そんな本になった。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
ガセネタだったらごめんなさい、喜佐子さんのお母様は(本当は)有栖川宮の女王ではないのだといううわさを聞いたことがありました。高松宮妃のお母様は、有栖川の女王だということです。
私は先祖をたどれば一応は武家らしいですが、とても世が世ならという感覚はありませんね(^_^;)
やこめっち@気ままな読書日記
2004/10/24 00:12
>やこめっち@気ままな読書日記
根も葉もない噂話を書くのは慎みなさい。
七誌
2004/11/22 08:24
喜佐子さんのお姉さま、高松宮妃喜久子様がご逝去されたことを新聞テレビ報道で知りました。
心から謹んでお悔やみ申し上げます。
喜久子様のお人柄を本書でもよく著されており、この本を読んでおいてよかったなあと思っています。
Carlan
2004/12/18 14:04
婦人公論一月十一日号(バックナンバー)に喜佐子様のお書きになった文章が載っていることを知り、一頁だけですが嬉しくなって買い求めました。お元気で、何よりと思いました。喜佐子様はやっぱり、おすてーきな方だと感じました。
ことりのとりこ
2005/02/20 17:39

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