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zoom RSS ビルマ・カレン難民の「第三国定住」は難民の救済になっているのか?

<<   作成日時 : 2011/10/05 23:41   >>

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昨年に引き続き、「第三国定住」として同じビルマ難民のメーラキャンプから、9月下旬に4家族18人が来た。
昨年は5家族27人が来られたのだが、9人減っている。
この「第三国定住」は、3年間、試験的に受け入れて、後どうするかが全然わからないのだが、ともかく「難民」という人たちを国が率先して受け入れた、ということは大きいのだろうと思う。

だが、昨年来られた人は、日本に住んで良かったと思っているだろうか。

そんなとき、朝日新聞と毎日新聞が千葉で職業訓練を受けていた2家族が雇用契約を結ばないとして、記者会見を行った等、報道したようだ。
その上、全国難民弁護団連絡会議という弁護士集団のHPで、外務省に申し入れしたという情報を聞き、ようやく事の顛末が見えてきた思いがした。

以下は申し入れ書なのだが、申し入れに至った経緯がかなり細かく書き込まれている。

・第三国定住プログラムよる難民の受け入れに関する申入書(修正版) 全国難民弁護団連絡会議(2011年9月26日)
 http://www.jlnr.jp/statements/20110926_mofa.pdf

私はこれらを読んで、なんてことだろうと思った。
試験であるにせよ、彼らの回答は「喜んでこの法人と契約する」ということではなかったかと思う。
定住はそこから始まるのだから。

国が内外の批判を受けて、いや、かわすためにとしか受け取れないけど、「難民を受け入れる」と言ったのは多分に初めてである。
今回の来日後のプログラムは、実は30〜40年ほど前の「インドシナ難民」を受け入れた際のプログラムの焼き直しという感じがする。

「インドシナ難民」―ほとんどがベトナム難民だったと思うが、彼らも国が「受け入れる」といったではないかと反論がきそうである。
確かに、「難民に準じる」形で当時の内閣が閣議決定し、それから難民条約の批准や難民認定法の策定が進んだ。
しかし、このときは、人数を限定して、国の役人が現地に迎えに行って募集して来たわけではない。
この時のいきさつは私はあまりよく知ってはいない。
田舎に住んでいて、ベトナム人どころか、外国人は会うことがなかった。
出会わなければ、そのことに気づかないものだ。

しかし、想像はできる。
ベトナム戦争があり、ベトナムの政治が変わり、その政治に反対する人たちは国を追われたのだ。
彼等はとにもかくにも身一つで逃げなければならなかった。
いわゆるボートピープルで、日本に行こうとして準備した人たちではなかった。
流れついたら日本だった。
日本は不法入国として捕まえた。
でも、彼等は出国手続きできる国から来た人ではないし、帰る国もなかった。
そういう人たちがたくさん流れ着いた。
最初は摘発していたが、アメリカに言われて、受け入れざるを得なかった。
難民事業本部はそういうなかで組織され、彼らの日本語教育を中心に日本での生活の研修をした。
受け入れ先(企業とか、法人とか、もしかして自治体もあったかもしれない)が見つかった時点で、ほとんど丸投げした。
いつからか、研修は半年になった。
日本語が上手に習得できた人も、難しくて習得できなかった人も、家族単位で地域に丸投げされた。
そこでうまく溶け込んで生活できる人は良かったけど、そんな人は少なかったようだ。
いつしか、ベトナム難民だけで固まってコミュニティが作られて行った。

政府はインドシナ難民の家族の受け入れを2005年ごろまでやっていたはずだ。
そのころにはインドシナ難民は約1万人日本にいると言われた。

私は2004年ごろ、西日本入管に収容されたベトナム難民の人たちに面会したことがある。
多くが生活苦で軽微な犯罪で刑に服し、ほかの国の犯罪者と同じように送還のために刑終了後に入管に移送されたのだった。
しかし、ベトナム難民には帰る国がない。
入管にしても、返す国がない(現在のベトナム政府からは引き受けられないと返事があった)。
彼等は仮放免され、在留資格を少しずつ与えられていった。

彼らがなぜ犯罪者になったのか―
それは、難民を受け入れ、研修後のフォローが何もなかったからである。
日本の生活になじめず、日本の文化が分からず、日本語が分からず、働くことがなかなかできず長続きせず。
地域の人たちに心を開くところまでいける人が少なかったのではないか。
私は面会をして初めてこの事情を知った。
「犯罪をさせてしまったのは、私たちが無関心だったからですね、ごめんなさい」と言ったことを思い出す。

これらのことを反省して、政府はUNHCRの「第三国定住」に取り掛かったのか。
このことだけが気がかりだったが、1年目にして反省はあまりしていないことが露呈してしまった。
それだけじゃなくて、農業生産法人と難民事業本部はどういう関係なのか、と思ってしまう。
カレン難民の人たちを「自由に使ってよい」などと言っていたのでは? と勘ぐってしまう。
難民が単身で来ていたならまだ考えられるけれど、彼らには小さな子どもや多感な思春期を迎えている子どももいる家族なのだ。
家族としての待遇がなんてお粗末なんだろう。
(別な話だけど、難民申請者への生活給付金にしても、難民申請していない(日本で生まれた)子どもを支給の対象にしないからと全員の支給ストップをしたとか聞く。)
朝日や毎日の報道では、このことを現地で応募していた人が聞いて、応募を取りやめたという。
当然な話である。

ビルマ難民キャンプにいる人たちは、それだけで苦労されている。
国にいても外でもともかく自分たちを守ってくれるバックグラウンドがないのだ。
その後ろ盾にならなきゃいけないのが「第三国」であり、そのもとで暮らすのが「第三国定住」でなければならない。
日本の難民政策は「放っておく」政策である。
後ろ盾もしてやらない。
しかし、インドシナ難民と違い、カレン難民には日本に自ら庇護を求めてきたビルマ難民やビルマの民主化を目指す活動家であるビルマ難民が多く住んでいる。
彼らが非常に力になってくれるはず、と私は思う。
日本人の民間の支援組織も結構あるし、少なくとも難民事業本部のような対応はしないと思える。

それでも、これは原点に戻ってプログラムし直さないといけない。
難民は「(生活などに)困った人たち」ではない。
この世の中で生きる自由を一番求めている人たちだ。
そのことを考えてプログラムし直さなきゃいけないと思う。

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