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zoom RSS 核廃絶へ向かえるのか(広島原爆忌に寄せて)

<<   作成日時 : 2012/08/07 01:08   >>

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広島の原爆投下の日から67年たった。
67年もたってしまった。
だが、この世界では、原爆以上の核兵器が温存され、それよりも幾分か小さい核弾頭が載せられるというミサイルが開発・製造されている。
核実験は私が子供のころよりはずいぶんと減ってきたが、シミュレーションなどコンピューター上での核実験は行われていたりする。
それほどにまでして排除しなければならない人や物などがあるのだろうか。

「抑止力」という言葉も過去には使われ、そのために日本も核装備を、という声もまだ聞こえてくる。
そう、あの時、多くの日本人を戦地に追いやり、アジアの人たちを苦しめ、戦争末期には、各地の空襲も含めて広島や長崎の人たちを犠牲にして、多くの犠牲者を生み、その後も何の戦争責任も取らず、たくさんの人が生きながらえて苦しんできているというのに。

日本は、戦争に加担しないことをきっちりと声を挙げ、戦争がどれだけ人々を苦しめ、国土や外交を荒廃させるかをもっともっと声を大にして言ってくれていたら、311の後の東電の事故は起きなかっただろう。
もしかして、911も起きなかったかもしれない。
憲法前文にあるように、人々を苦しめるものから目をそらすことなく、「国としてどう対応していくか」を考えた行動をとっていたら。
しかし、日本はその後も目をつぶり、被害者の支援はしても、根本的な解決の糸口になることさえも何もやってこなかったといまさら思う。


広島での記念式典の野田首相の挨拶概要を新聞で見て、「何と日本政府はほとんど何もしないと明言しているようだ」と夫がつぶやいた。
それが「野田首相だからなのか、日本政府だからなのか」と言えば、両方とも言えるし、長い目で見ると、日本政府がそうだったため、野田首相は臆面もなく継承したのだとも思える。
個人的にも野田首相自身が何かができるとは思っていないことの表れではないか。


平和宣言と首相挨拶のこの差。
宣言には日本政府に注文しているが、これにこたえるものは首相挨拶から何も読み取れない。
私はまた日本政府が67年間やってきたことを相も変わらず何の反省もなく、繰り返し繰り返し続けて行くのかとぞっとした。


広島平和宣言(全文)

 1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。――「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」――それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。川辺からは、賑(にぎ)やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長えびを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。

 そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。――「警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業に出る。少年の私は、足首を持つように言われ、つかむが、ズルッと皮がむけて握れない。覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ。」――この当時13歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍(しかばね)が重なり、声にならない呻(うめ)き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め虚(うつ)ろな顔の母親など、まさに生き地獄だったのです。

 当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。――「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌(がん)で亡くなりました。」――広島では、幼子からお年寄りまで、その年の暮れまでに14万人もの尊い命が失われました。

 深い闇に突き落とされたヒロシマ。被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以(もっ)て体験し、後障害や偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。そして、自らの体験を語り、怒りや憎しみを乗り越え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。私たちは、その辛(つら)さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。

 広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。

 世界中の皆さん、とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、被爆地で平和について考えるため、ぜひとも広島を訪れてください。

 平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は5300を超え、約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。その平和市長会議の総会を来年8月に広島で開催します。核兵器禁止条約の締結、さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。そして、再来年の春には、我が国をはじめ10の非核兵器国による「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合も開催されます。核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや、広島を起点として全世界に広がり、世界恒久平和に結実するものと信じています。

 2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曽有の大惨事が発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。

 あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほかさまざまな声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。

 私たちは、今改めて、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、この広島を拠点にして、被爆者の体験と願いを世界に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

 平成24年(2012年)8月6日
 広島市長 松井一実


野田首相あいさつ

 6日午前の広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式での野田佳彦首相のあいさつ全文は次の通り。
 67年前のきょう、原子爆弾が広島を襲い、約14万人もの尊い命が一瞬にして奪われ、多くの市民の方々が筆舌に尽くし難い苦痛を受けられました。
 広島市原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御魂(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠をささげます。
 そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
 人類は、核兵器の惨禍を決して忘れてはいけません。そして、人類史に刻まれたこの悲劇を二度と繰り返してはなりません。
 唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験したわが国は、人類全体に対して、地球の未来に対して、崇高な責任を負っています。それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことです。そして、「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中に広めていくことです。
 被爆から67年を迎える本日、私は日本国政府を代表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて日本国憲法を順守し、非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。
 67年の歳月を経て、被爆体験を肉声で語っていただける方々もかなりのお年となられています。被爆体験の伝承は、歴史的に極めて重要な局面を迎えつつあります。
 「記憶」を新たにする社会基盤として何よりも重要なのは、軍縮・不拡散教育です。その担い手は公的部門だけではありません。研究・教育機関、NGO、メディアなど、幅広い主体が既に熱心に取り組んでおられます。
 そして何よりも、市民自らの取り組みが大きな原動力となることを忘れてはなりません。被爆体験を世界に伝える、世界49カ所での「非核特使」の活動に改めて感謝を申し上げます。政府としては、これからも「核兵器のない世界」の重要性を訴え、被爆体験の「記憶」を、国境を越え、世代を超えて確かに伝承する取り組みをさまざまな形で後押ししてまいります。
 「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会も確かな歩みを進めています。核兵器保有国の間でも、昨年、米ロの新START(核軍縮条約)が発効し、わが国が国連総会に提出した核軍縮決議が圧倒的な賛成多数で採択されました。こうした動きを発展させ、世界全体の大きなうねりにしていかなければなりません。
 わが国は、志を同じくする国々とも連携しながら、核軍縮・不拡散分野での国際的な議論を主導し、「行動への情熱」を世界に広めてまいります。再来年にはここ広島で、わが国が主導する非核兵器国のグループである軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)の外相会合を開催いたします。
 原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々に目を向けることも忘れてはなりません。認定制度の在り方については、有識者や被爆者団体などの関係者に熱心にご議論いただき、本年6月に「中間とりまとめ」を頂きました。原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう最善を尽くします。これからも被爆者の方々の声に耳を傾けながら、より良い制度への改善を進め、総合的な援護策を進めてまいります。
  東日本大震災、そして東京電力福島第1原子力発電所の事故から1年以上が経過しました。ここ広島からも、福島の再生に心を砕き、さまざまな支援を寄せていただいています。今なお不自由な生活を余儀なくされている方々が一日も早く普通の日常生活を取り戻せるよう、除染などの生活基盤の再建に全力を尽くします。また、脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指します。
 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々、ご遺族の皆さまの今後のご多幸を心からお祈りするとともに、参列者ならびに広島市民の皆さまのご健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。




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