エジプトの100万人デモ:日本ではありえない事態だが

チュニジアのデモにより、大統領が国外に出国したことで、国民も政府に対してモノを言っていいんだという感覚が北アフリカに生まれたのではないかと思う。
ただ、エジプトはチュニジアより大きく、イスラエルやアメリカと親しくしていることから、周辺に大きな影響を与えると見えて大統領はそう簡単には下りてくれなさそうだ。
とはいえ、私もあまり逐一ニュースを見ているわけではない。
チュニジアの場合は、大統領の出国騒ぎで「何があったの?」という感じだったし。

しかし、その国のことはその国の人たちに任せるしかない。
私たちはそっと、「エジプトの人たち、頑張れ」とか言うしかない。
国柄が違っても、国民主体の国政でなければならないはずだし、そうでなかったその国の人たちが今をチャンスとそういう国のあり方へと自ら変えようとしているのだから。

私はむしろ、政権が強権を用い、人々を弾圧し、今以上に圧政を敷くようなことがあってはならないとそればかり気になる。
難民が出ませんように。
それだけを祈る気持ちである。

2007年のビルマの黄金の革命(別名:サフラン革命)を思い出す。
僧侶と市井の人々が連携を組んで、とても静かなデモを大なり小なり、あちこちで起こした。
しかし、軍事政権は軍隊を出動させ、武力弾圧したのだった。
そのときに長井健司さんというジャーナリストが軍事政権により殺された。
多くの僧侶は逮捕され、そうでなくてもビルマにいられず周辺国に逃げた。
市井の人々も遠く日本まで逃げてきた人もいる。

エジプトもこういう事態にならないとは限らない。
軍事政権でなくても、国家が軍隊を持っているということはこういうことなのだと思う。
守るのは政権であり、決して国民ではないからだ。
だが、今のところ、エジプト軍は静観している。
どう見ても、デモを制止するところまではしていない。
ちょっとホッとする。

しかし、こんな事態、日本では起こらない気がする。
安保闘争みたいだという人がTwitterであったが、安保闘争の主体は大学生がほとんどではなかったか。
しかも、軍ならぬ警察が権力を行使した。
私は当時はまだ幼く、テレビで見るニュースでは大人たちは「アカの集団」だとか「犯罪集団」とか言っていた。
ちょっと口答えすると「お前もアンポトーソーするのか」とよく言われた。
私はしばらくの間、彼らは大学や社会に対して不満を暴力でぶつける人たちという意識を持ってしまっていたくらいだ。

それにしても、もうあの時代のように、よほどでないと日本人は大挙してデモを行なったりしないんだろうと私は思う。
デモをしても何も変わらない。
そういう雰囲気が占めている感じがする。
言いたてても、騒いでも、日本の政府は何も変えようとしない。
一種のあきらめ的なムードというか、投げているというか。
あるいはこんなもんと無視しているのか。
しかし、それは政府の思うつぼである。
国民の政府への監視と強権への抑止がほとんどないから、言いたいことを言い、やりたいことをやりだす。

チュニジアやエジプトはTwitterなど、投稿サイトで連携を取り合い、デモなどを進めているという。
しかし、日本ではこれさえもあり得ないのではないか。
単にコマーシャリズムと総評論家への道のような使い方ではないかと思う。
とはいえ、Twitterでの情報に新聞やテレビで確認作業している私である…。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック